MRワクチンによる急性脳症 れん君のサクセス・ストーリー

人生を取り戻す戦いに挑んだ少年

MR麻疹・風疹混合ワクチンの有害反応が出るのは1万人にひとりの割合だと言われることが多いです。もっと多いと言う人もいます。しかし、後遺症が出る確率が1万分の1であろうが、1000分の1であろうが、それが起こって脳障害になったのが自分の子どもだったら、確率は100%と言われたのと同じことなのです。


ワクチンを受ける前のれん君とお母さん

心にしみるお母さんの手記:

息子は、家族の期待通りとても順調に成長していましたが、1歳7ヶ月の時に受けた予防接種(MRワクチン)の後に、急性脳症を発症しました。そして、二週間程意識不明の状態が続き、集中治療室で処置を受けましたが、一命を取り留めたものの、殆どの機能を失いました。目覚めた息子は、視点は定まらず、毎日何かに怯えているように泣いてばかりいました。

深刻な状態でした

深刻な状態でした

主治医の診断名は、「急性脳症の後遺症による痙性四肢麻痺、精神遅滞、難知性てんかん」というものでした。さらに、MRIの脳の画像を見せられ「脳全体が萎縮しているため、寝たきりになる可能性が大きい。コミュニケーションも難しいでしょう。」と言われました。この時のショックは、未だに忘れることができません。

希望の光:人間能力開発研究所との出会い

居ても立ってもいられず、付き添い看護の合間を縫って、何かできることはないか、家族みんなで探しました。ちょうど、祖母が三十年程前に「ドーマン博士の幼児開発法」という本を読んだのを思い出し、使ったことがないパソコンで探してくれたのが研究所を知ったのがきっかけです。そしてドーマン研究所東京オフィスに連絡を取ってくれました。

送って頂いた過去の「虹」の中に、同じような症状でプログラムを始め、卒業された方の手記を見つけ、「息子にも希望がある。ぜひ克服された子どもさんのお話をお聞きし頑張りたい。」と思いました。

また、東京のスタッフから助言を頂き、その時点でできることを少しずつ始めました。

今思うと、機械音痴な祖母が必死に探して見つけてくれ、息子のために「頑張ってみよう」と励ましてくれたこと、とても感謝しています。研究所の存在を知らなかったら、今の息子の存在はありませんでした。

私達夫婦が「あなたの脳障害児をどうしたらよいか」コースに参加し、まず印象的だったのは、「脳は再生できる」と講義の中で言っていたことです。

私は一度壊れた脳は再生できないと思っていたので、この言葉を聞いた時、希望の光が見えたような気がしました。そして、息子を真っ暗なトンネルから出してあげられるかもしれないと思いました。


「動けない」は過去のことになりました 腹ばいをし始めたのです

もう一つは、「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースの最後の日に見たデモンストレーションです。日頃のプログラムの成果を誇らしげに披露し、どの子どもさんもキラキラ輝いていました。この時、障害を持っている子ども達への見方ががらりと変わりました。「頑張ったら、息子もいつかこんな風になれるかもしれない。これしか救える道はない!」と確信しました。

兄弟が家族の絆をさらに強くした

兄弟がいることで大変だったこともあります。プログラムを始めた当時、兄は小学校四年、姉は二年でした。プログラム開始から約三年間、学校行事やスポーツ少年団の大会等に行ってあげることができず、兄や姉にかなり寂しい思いをさせました。それなのに、二人は常に弟(息子)を最優先にと気遣ってくれました。

また早朝からのパタニング゙も文句一つ言わず、眠い目をこすりながらも毎日協力してくれています。プログラムを始めた時、家族で約束しました。「もとの元気なれんに戻すためなら頑張る!」と兄、姉の口から言ってくれました。それから、ずっと約束を守ってくれています。頭が下がります。


パッドでくるんだ器具にまたがって、高ばいへの第一歩

プログラムを続ける秘訣

私たちが集中プログラムに進んだあとは、いつも壁にぶつかると、まずは研究所の担当スタッフの方に相談します。不思議と助言を頂いた後はスムーズに進められるようになるのです。また、他のスタッフの方もいつも適切な助言を下さり、我が家は、幸せにも大変だったという記憶はありません。


重力に対抗することができるようになりました。
もうどこへでも好きなところへ高ばいで行かれます。

これからプログラムを始められるご家族へ

ネット上でドーマン法を検索すると、多分、まず悪い情報ばかりが出てくると思います。きっと、こんな情報を大半の方が信じているのかなと、悲しくなります。私もまた、神戸のコースに参加するまでは、これらの情報を目にし不安で祖母と何度も衝突しました。

しかし、集中プログラムを始めてからは、6か月ごとの研究所訪問の度にどんどん変わる息子の姿を見て、私達家族がやって来たことは決して間違っていなかったと、再確認できました。


頭上梯子を使って1日に何メートルも歩きます

人間能力開発研究所のプログラムは、一つ一つの段階がしっかりしています。つまり、その時々の状態に合わせて考えられています。初めて研究所スタッフが息子の機能診断をしたときの結果は、「難度、拡散、両側、大脳皮質および中脳障害」という重い脳障害でしたが、プログラムをやることで一つずつクリアしてきました。

息子が変わっていく姿を見て、最近、ドーマン博士が講義の中で繰り返し言っていた「機能は構造を決定する」という言葉の意味がさらに良く理解出来るようになりました。

私達家族は、息子が健常になって自立していくことを信じて、尚一層、頑張ろうと思います。これから人間能力開発研究所のプログラムを始められる皆様も、ぜひ子どもさんの無限の可能性を信じて頑張って下さい。

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れん君からのメッセージ:

~親愛なるドーマン先生、そして研究所の先生方、そしてこれからプログラムを始められるお父さん、お母さんへ~

僕は、この研究所の先生方に出会えて本当に幸せだと思います。それはきっと、この出会いがなかったら今の僕は存在しなかったでしょう。

病気になったばかりの時、僕は何もできなかったです。今まで見えていた物は何も見えなくなり、体は痛くて痛くて動かすこともできませんでした。真っ暗な中、僅かに感じたのは匂いと音だけが聞こえました。耳はとても聞こえ過ぎて、機械の音や人の足音が恐くて泣いてばかりでした。研究所のプログラムを始めてから、僕の体はとても、動けなかった足や手、首殆ど全てですが、動くようになりました。もし、出会う事がなければ、こんな風な生活はできなかったです。

お母さんと僕は、始めたばかりの時、僕の体を鏡で見て二人で泣きました。僕、その時「頑張って治らなくちゃ」と思いました。

これから始めるお父さん、お母さん、子どもは可能性を沢山持っています。多分、お父さんやお母さんが分からない位です。どうか、子どもの、可能性を信じてください。

そして最後に、先生方いつも僕に笑顔で接してくれて、ありがとうございます。僕はこれからも少しでも良くなるように頑張ります。

れんより

希望と絶望

この分野のエキスパートと言われるあるお医者さんに、れん君は、見たり、理解したり、話をしたりできるようにはならないだろうと言われました。しかしご両親はその言葉を受け入れませんでした。絶望することを拒否し、れん君により良い将来が来るように望んだのです。

れん君とご家族は、希望は絶望よりも強いことを証明しています。目の見えない子が読めるようになり、体がまひしていた子が高ばいをし、声を発することができなかった子が話をしているのです。歩くことについては、これからのお楽しみです。れん君は、医師や専門家の予測が外れたことを証明しようとしています。

もちろん私たちはれん君の勝利に賭けています。